その1に続いて、成功裏に査察対応を終える方法論について考察してみます。
これも、筆者の経験に基づくもので当局の方針を示したものではないこと、査察官によってはばらつきも想定される等により、必ずしもそのようになるとは限らないので、予めお断り致します。
テーマは以下です。
- 英語の説明用サマリーは有効か?
- 途中のラップアップは少なくとも経営陣が議論に参加するか?
- クロージングには上級経営陣が参加するか?
- 指摘事項の行間を読みそれに適切に応じた回答をする
英語の説明用サマリーは有効か?
重要な手順書は英訳することと言われることもあるかと思います。確かにそのような助言をする場合もあったりします。目的は査察官が製造所の手順を誤解ないように理解し、誤解から結果的にあらぬ指摘になることを避けたいというものです。かなり昔から言われていて、我々コンサルも今でも助言しているのは、その管理体制や手順を理解できるよう概説した英語版を作成しておくものです。場合によっては、その日の質問に明確に回答するために翌日に向けて追加のプレゼンを作成することもあり、指摘に対する姑息的な修正に時間をかけるよりこちらに注力した方が良い結果を得る可能性がより高いと言えるでしょう。この英語版サマリーと日本語の手順書で効果的な対応を得た経験もあります。
留意すべき点は、
- サマリーに用いる用語は正確であること
- 日本語の手順書で説明する相手は日本語が読めない事を意識すること
です。
用語は、実際に自社が用いている定義を正確に反映すること、それ以外は、規制の用いている用語に整合させることです。ここを曖昧にすると査察官は全貌を正確に知るために相当程度の質問をすることになり、かつ、誤解を生むもとになります。
サマリーや記録を見た後に、その部分は手順書のどこにあるかという質問に対して、黙ったまま日本語の手順書を査察官の前に広げても解決しません。査察官には読めないので、情報が提示されたという認識になりません。したがって、日本語の手順書を見せる場合、効果的なプレゼン力が求められます。
ここで言っている前提は、査察官との積極的な対話です。日本人にありがちなことに、言葉少なに、まあ見て下さいなという姿勢を基調としたいなら、日英対訳の手順書を時間をかけて準備することになります。
途中のラップアップは少なくとも経営陣が議論に参加するか?
ここで言う経営陣は、上級経営陣の下位の者を指します。査察中に行われるその日のまとめの協議をここでは「ラップアップ」とします。一般的にはここで気になる点についてコメントされ、それがゆくゆく指摘事項になりうるので、背景や真意をよく聞いて置くことが、後のF483の内容を判断する上で重要です。そのために、ある程度の資源の判断ができる経営陣が、この途中経過を聞く必要があります。また、査察官側にしてもコメントが企業のキーとなる者に届いている環境かも注意しています。ここでの査察官の製造所に対する印象が翌日以降の対応に少なからず影響すると言っても過言ではないでしょう。指摘になりそうなコメントに対しては、その内容をよく理解するために時間の許す限り対話するのが後々良い影響を導くでしょう。翌日準備してもらいたい文書等宿題を言われれば、その要求に的確に応えるために、正確に理解できるまで質問することが大事です。中途半端に納得して、要求より多めの(もしかしたら的外れの)文書を準備することは、製造所担当者にとっても負担であり、翌日の査察官のストレスにも繋がります。
クロージングには上級経営陣が参加するか?
最終日のまとめを「クロージング」とします。ここでは、F483の内容や、それ以外の推奨(F483にはならないが、Best practiceとされるもの)などもコメントされ、経営に直接関わる上級経営陣(品質に責任者持つ者)の出席が重要です。F483に書かれたことについて企業として異論がないかを文面を確認し、署名する作業が入ります。署名者はそれに責任を持てる例えばQA部長も適しています。その者が後の回答書の責任を負うことになります。
指摘事項の行間を読みそれに適切に応じた回答をする
一般的にF483の文書には、広い表現(いわゆるハイレベル)で書かれることもあり、査察期間中に十分な議論をしていても、的確な回答を作成するためには工夫が要ります。また、査察官の上位の者が内容を十分に理解するものに仕上げる事が重要です(後述)。査察官が作成した短い指摘の中にその指摘の本質を見極めて回答するためには、いわゆる行間を読み解く事が重要となります。そのために必要なのは、規制の本質をよく知っている事と不明確な部分を極力なくすということです。行間を読むということに強みを持つのが経験を積んだコンサルということになるでしょう。改めて認識すべき点は、報告書は当該の査察官に向けて提出されるものではないことです。査察中に担当官と十分に議論して背景を知っているだろうから、ある程度簡単な記載でいいだろうと甘えてしまうといったことです。査察官はあくまでも今回の査察のために割り当てられた者にすぎず(実際そう言っている)、FDAという当局の組織が一企業の回答を見て是非を判断するものなので、第三者が見ても対応姿勢が理解できる簡潔な(concise)記載が必要となります。ハイレベルな表記で指摘が書かれていれば、どのような背景と議論があって、それに対してどう双方が結論して、この改善に至ったかという表現(ストーリー性、narrative)となります(つまり、narrative & concise)。また、後日改めてF483を見てみると事実と若干異なるようにとらえられるのではないかといった表現に気付くこともあります(製造所が十分な規制の理解をしていない対応をしていた等)。その場合は、当時の正確な事実はどうだったか、全体に問題があったのではなく、規制のどういう理解の下に対応していて、どの部分に指摘を受けたのか、その背景は何だったのかという前提を明確にしてから回答にもっていくことが重要と言えます。報告書の質はうまく収めるために極めて重要な位置付けにあります。
査察対応を成功裏に終わるために、それでは何が大事なのでしょうか。
その1では労力の割には効果のないものや逆に効果的な考え方に触れました。F483がないのはこの上ないことですが、それに固執すると査察対応が硬くなり、また、いつもそのような事が起こるとは限りません。やる前から指摘されてもいいやという投げやりではなく、仮にF483を受けたとしても難なく対応して終了し、次に備えることもありでしょう。
この記事では、回答書の書き振りといった小手先のことを伝える意図はなく、その前提で、査察官との身のある対話、更にその前提として、しっかりしたシステムの構築といった前提があります。そこには、規制の本質の十分な理解があります。そして、いろいろな想定に対応できることが製造所の頑健性と言えるでしょう。